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5つのパンと2匹の魚

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わたしがあわれんでやったように

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その人の仲間たちは、この様子を見て、非常に心をいため、行ってそのことをのこらず主人に話した。そこでこの主人は彼を呼びつけて言った、『悪い僕、わたしに願ったからこそ、あの負債を全部ゆるしてやったのだ。わたしがあわれんでやったように、あの仲間をあわれんでやるべきではなかったか』。そして主人は立腹して、負債全部を返してしまうまで、彼を獄吏に引きわたした。(マタイ18:31-34)

 これを聞いた主人は怒りました。自分は僕の借金を許したからそれで終わりではありません。主人の心は、「わたしがあわれんでやったように、あの仲間をあわれんでやるべきではなかったか」です。僕は自分が憐れんでもらった者であるのに、他者を憐れむことができませんでした。主人は怒ってその僕を獄吏に渡して、借金を全部返済できるまで投獄しました。

 このとき僕に借金した仲間は100日分の賃金ですから、約3カ月後には牢獄から出て来られるでしょう。しかしこの僕の借金は16万年分ですから一生牢獄から出ることはできません。獄の中で後悔しても遅いのです。
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by carbondalle1996 | 2016-03-31 16:28 | 日記 | Comments(0)

借金を返すまで獄に入れた

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その僕が出て行くと、百デナリを貸しているひとりの仲間に出会い、彼をつかまえ、首をしめて『借金を返せ』と言った。そこでこの仲間はひれ伏し、『どうか待ってくれ。返すから』と言って頼んだ。しかし承知せずに、その人をひっぱって行って、借金を返すまで獄に入れた。(マタイ18:28-30)

 ところが1万タラントもの借金を主人から許してもらった僕でしたが、主人の家から出て家に帰る途中に、今度は自分が100デナリのお金を貸している仲間に会いました。100デナリは労働者の100日分、約3カ月分の賃金です。この僕は彼を捕まえて「借金を返せ」と迫りました。するとこの仲間も僕が主人にしたようにひれ伏して「どうか待ってくれ。返すから」と願いました。しかし、この僕は仲間を許さずに、借金を返すまで牢獄に投げ入れてしまいました。

 この僕はとてもひどい男です。この僕は、自分は一生働いても返すことのできない大きな借金を主人に許してもらったにもかかわらず、自分が貸したわずかなお金を貸した相手を許せませんでした。
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by carbondalle1996 | 2016-03-30 16:40 | 日記 | Comments(0)

一万タラントの負債

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それだから、天国は王が僕たちと決算をするようなものだ。決算が始まると、一万タラントの負債のある者が、王のところに連れられてきた。しかし、返せなかったので、主人は、その人自身とその妻子と持ち物全部とを売って返すように命じた。そこで、この僕はひれ伏して哀願した、『どうぞお待ちください。全部お返しいたしますから』。僕の主人はあわれに思って、彼をゆるし、その負債を免じてやった。(マタイ18:23-27)

 これは主人と僕のお話。主人は僕にお金を貸していたので、ある日決済をしました。すると僕の借金を計算すると1万タラントにも達していました。タラントというのは、当時のイスラエルのお金で一番大きな単位です。この後、デナリという単位も登場します。1デナリが労働者1日分の賃金です。

 そして1タラントは6000デナリでしたから、1タラントは労働者6000日分の賃金。365日で割るとおおよそ16年分の賃金です。ですから1万タラントというと、労働者の約16万年の賃金となります。そのような大金を払えるはずがありません。人間が一生働いても無理です。

 このとき主人に借金した僕は「どうぞお待ちください。全部お返しいたしますから」と言いましたが、少し待ったくらいで返せるような借金ではありません。しかし、主人は僕を憐れに思い、彼の借金の全てを払う必要は無いと許してあげました。

 このストーリーで大切なことは、僕は一生働いても返すことができない借金を主人に対して負っていたこと。そして主人はこの僕を憐れに思ってその負債のすべてを許してあげたということです。
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by carbondalle1996 | 2016-03-29 16:33 | 日記 | Comments(0)

ふたりまたは三人が

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ふたりまたは三人が、わたしの名によって集まっている所には、わたしもその中にいるのである」。(マタイ18:20)

 同じように二人または三人とはだれでしょうか。16節でイエス様は「もし聞いてくれないなら、ほかにひとりふたりを、一緒に連れて行きなさい」と言いました。あなたが再び兄弟の所に行くときは、今度は教会の信徒を連れて行きます。それが第2のステップでした。その段階であなたの忠告を相手が受け入れて、罪を悔い改めるならば、あなたは兄弟を得たことになります。そこにいるのは、あなたと相手と、一緒に連れていった教会員の3人です。3人で神様に祈るならば、そこにイエス様も共におられるという約束なのです。
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by carbondalle1996 | 2016-03-28 16:30 | 日記 | Comments(0)

地上で心を合わせるなら

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また、よく言っておく。もしあなたがたのうちのふたりが、どんな願い事についても地上で心を合わせるなら、天にいますわたしの父はそれをかなえて下さるであろう。(マタイ18:19)

 ここでイエス様は「もしあなたがたのうちのふたりが」と言いました。この二人またはとは誰でしょうか。15節でイエス様は「彼とふたりだけの所で忠告しなさい」と言いました。教会の兄弟が神様に罪を犯していることを知ったとき、その兄弟との霊的回復の第1のステップは、あなたがその人のところに行って、二人だけの所で忠告することでした。このとき兄弟があなたの忠告を受け入れて、悔い改めたならば、あなたは兄弟を得たことになります。そしてそこにいるのはあなたと相手の二人です。その二人が「心を合わせて祈るなら」とあります。

 この「心を合わせる」というギリシア語は、「響きを共にする」という意味で、「シンフォニー」という言葉の語源に当たります。シンフォニーのように、互いの響きを重ねるようにして共に祈るとき天の父はそれをかなえてくださるという約束です。

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by carbondalle1996 | 2016-03-27 16:28 | 日記 | Comments(0)

地上でつなぐことは

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よく言っておく。あなたがたが地上でつなぐことは、天でも皆つながれ、あなたがたが地上で解くことは、天でもみな解かれるであろう。(マタイ18:18)

 これはマタイ16章でも学びましたが、「つなぐ」「解く」という言葉は、当時のユダヤ教のラビ用語です。「つなぐ」という意味は「禁止」です。裁判で言えば「有罪」。また「解く」は「許可」です。裁判で言えば「無罪」です。マタイ16章でイエス様はこの「禁止」と「許可」の権威をペテロに与えましたが、ここでは弟子たちに与えました。
 
 つまりこれから建てられる地域教会(Local Church)にこの権威をイエス様は授けました。つまりイエス様はここで何を教えているかというと、霊的回復のために3つのステップを教えました。そのステップを踏んで教会が「許可」または「禁止」したことは、神様もそれを承認しているということです。

 使徒行伝に入ると異邦人にも福音が広まりどこまでが罪でどこからが良いのかと云議論が教会で起こりました。このときパリサイ派から救われたユダヤ人が、「割礼と律法を守ること」を求めました。そのときペテロは、「偶像に備えた物と不品行と絞殺した血を避ければそれ以外は良い」としました。
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by carbondalle1996 | 2016-03-26 16:23 | 日記 | Comments(0)

柔和な心をもって

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 神様はどこまでもその人を赦して、救いたい。それが神様の心です。教会の言う事を聞かなければ相手が悪いから放っておけばよいではないのです。それはあくまでも罪を教会の中に入れることができないという苦渋の決断なのです。パウロはその心構えをガラテヤ書でこう言っています。

兄弟たちよ。もしもある人が罪過に陥っていることがわかったなら、霊の人であるあなたがたは、柔和な心をもって、その人を正しなさい。それと同時に、もしか自分自身も誘惑に陥ることがありはしないかと、反省しなさい。(ガラテヤ書6:1)

 「よし、自分が行って相手を説得してみせる」などと考えて行く人はいないと思いますが、「柔和な心をもって、その人を正す」ことが大切です。

 イエス様がサマリヤの女を霊的に回復したときのことを思い出してください。「その水をわたしにください」と求めたサマリヤの女に対してイエス様は、「あなたの夫をここに連れて来なさい」と言いました。彼女の罪は姦淫の罪でした。そのために神のコミュニティーから取り除かれていました。「夫はいません」という女に対してイエス様は、「嘘をつくな」とは言いませんでした。「あなたの言ったのは正しい。あなたには五人の夫がいたが、今のはあなたの夫ではない」と柔和な心をもって彼女を正しました。イエス様は取り除くことではなく、回復することを望んでおられます。
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by carbondalle1996 | 2016-03-25 16:19 | 日記 | Comments(0)

起こることを前もって弟子たちに

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 もし彼らの言うことを聞かないなら、教会に申し出なさい。もし教会の言うことも聞かないなら、その人を異邦人または取税人同様に扱いなさい。(マタイ18:17)

 ここで不思議なことは、イエス様がこのとき「教会に申し出なさい」と言ったとき、教会はまだ誕生していませんでした。教会が誕生するのはイエス様が天に昇って、弟子たちがマルコの家で祈って10日間祈り続けていたときに、聖霊が下ったことによって教会が誕生しました。ですからイエス様はこのときこれから起こることを前もって弟子たちに教えたと考えられます。この箇所が教会憲章と呼ばれるのはそのためです。

 このとき間違えてはいけないことは、このときイエス様は兄弟姉妹との霊的関係を回復する方法としてこれを教えたのであって、罪を犯した人を教会から取り除く方法としてこれを話したのではないないということです。何かを行うときに、その人の目的がどこにあるかというのはとても大切なことです。

 神様はどこまでもその人を赦して、救いたい。それが神様の心です。教会の言う事を聞かなければ相手が悪いから放っておけばよいではないのです。それはあくまでも罪を教会の中に入れることができないという苦渋の決断なのです。
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by carbondalle1996 | 2016-03-24 13:32 | 日記 | Comments(0)

普遍的教会と地域教会

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 そこで、わたしもあなたに言う。あなたはペテロである。そして、わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てよう。黄泉の力もそれに打ち勝つことはない。(マタイ16章18節。)

 ここでイエス様が言われた教会は普遍的教会、英語ではUniversal Churchです。使徒行伝2章で聖霊が下り、やがて天に引き上がられるまで続く召しだされたクリスチャンの集まりを意味する教会です。

 しかしこの18章でイエス様が言われた「教会に申し出なさい」という教会は、普遍的教会(Universal Church)ではなく地域教会、Local Church です。地域教会は普遍的霊的教会と違い、地理的、時間的な制約があります。そして普遍的教会との一番大きな違いは未信者も含んでいるということです。

 普遍的教会、Universal Church はイエス様によって召しだされたクリスチャンだけです。この教会がキリストの花嫁となります。ですから私たちはこの地上生涯においては地域教会に属し、霊的世界においては普遍的教会に属する者です。

 考えてみるとこの地域教会には、この秋田市内だけでもバプテスト教会、ルーテル同胞教会、日本基督教団、ペンテコステ派、カリスマ派、純福音教会、保守バプテスト等といろいろありますが、天国にはそのような教会はありません。みんなキリストの花嫁としての普遍的教会、Universal Churchという教会の一員です。
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by carbondalle1996 | 2016-03-23 13:27 | 日記 | Comments(0)

同窓会?

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 大川先生ご夫妻の金婚式に駆けつけた伝道者。左から森屋伝道師、私、和田伝道師、そして中田牧師。なつかしいメンバーです。
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by carbondalle1996 | 2016-03-22 13:23 | 日記 | Comments(0)