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5つのパンと2匹の魚

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隣人を愛せよ!



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”第二もこれと同様である、『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。”(マタイ22章39節)

A教会のN先生は、朝祷会の食事の時間にいつもB先生の奥さまの隣に座ります。そしてB先生の奥さまのお話を聞いて、奥さまにいつも優しい言葉、温かい言葉をかけています。あるときB先生の奥さまが骨折してしばらく入院していました。そして退院して朝祷会に来られたときに、「病院にお見舞いに行けずに申し訳ございませんでした。お見舞いに行こうと妻と準備していたのですが、突然葬儀が入って行けませんでした。」私はN先生の言葉を聞いて、自分が道の向こう側を通り過ぎた祭司やレビ人になっていたことに気づかされました。私はB先生の奥さまが入院していると聞いていたのに、お見舞いに行くという思いがなかったからです。

そのとき私はN先生にこう質問しました。「いつも先生は隣の人にたくさんの言葉を語り、本当に優しい先生ですね。」そのとき先生はこう言いました。「いいえ、優しいとかではなく、自分の中で隣人に感心があるから、自然とお話が出てくるのですよ。」私はN先生との会話から、感心を持つことが隣人となってゆくことだと改めておそわりました。

マザーテレサが来日したときに、ノートルダム聖心女子大学で講演をしたそうです。マザーテレサはインドのカルカッタで路上に倒れている人々、これから死ぬ人々、孤児や病人を引き取って、介抱するという働きをしていました。その話に感動した学生たちは、自分達もインドへ行ってマザーの働きを助けたいと申し出ました。そのときマザーテレサは、「ありがとう」と感謝しつつも、「大切なのは、カルカッタへ行くことより、あなたたちの周りにあるカルカッタに気づき、そこで喜んで働くことなのですよ」と優しく諭されたそうです。


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by carbondalle1996 | 2017-01-26 09:02 | 日記 | Comments(0)

シェマー・イスラエル!

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”イエスは言われた、「『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。”(マタイ22章37節)


これは最初のことば「イスラエルよ聞け」、原文では「シェマー、イスラエル」です。ユダヤ人たちにとっては「シェマー」と言えばこの御言葉と答えるほど有名な御言葉です。敬虔なユダヤ教徒は朝と夕方にこの御言葉を読む生活をしていました。ですからこの教えはユダヤ教の根幹を成す教えなのです。テフリンという箱を「目の間に置いて」いつも身につけ、また家の扉にはメズーサという箱を取りつけました。これらの箱の中にこの御言葉が書かれた紙が入っている。


ユダヤ人は家に入るときにこのメズーザに触れてから入ります。それは読むことを意味する。申命記の【主】はヤハウェ。神様の名前で契約を守る神を意味する。「心をつくし、精神をつくし、力をつくして」の直訳は、心の全てで、魂の全部で、そして豊かさのすべてでヤーウェなる神を愛さなければならない。この意味は、人間存在の全てをかけて神様を愛することを命じた。

 どうして神様は人間存在の全てをかけて神様を愛することを人間に命じたのでしょうか。人間存在の全てをかけて神様を礼拝することではなく、人間存在の全てをかけて神様に尽くすことでもなく、神様はご自身を愛することを命じました。なぜでしょうか。神様を愛するとはどういうことでしょうか。

 聖書からその答えを導き出すならば、「神は愛なり」ということ。神様は愛そのものであるから、私達人間にも愛を求められた。もう1つ考えられることは、コリント人の手紙にあるように、大いなるものは信仰と希望と愛の3つで、その中で最も大いなるものは愛。愛を求めなさい。ゆえに神様は私たちに愛することを命じられている。

 そしてもう1つ考えられることは、神様ご自身がその存在のすべてをかけて私達一人一人を愛しているからではないでしょうか。神様は一人子なるイエス・キリストを世に遣わして、十字架にかけるほどに私達人間をそのすべてを捨てて愛してくださった。ゆえに私たちも全てをもって神様を愛するのだと思います。私たちが神を愛したから、神が私たちを愛してくださったのではなく、神様がまず罪人の私たちを愛してくださったから、私たちは神様を愛することができるのです。





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by carbondalle1996 | 2017-01-22 18:46 | 日記 | Comments(0)

今年一番の寒波到来

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 昨日から日本を覆っている今年一番の寒波。秋田市内も昨日から大雪となり、祈りの家の前の道路も雪で覆われてしまいました。今朝は教会に到着するのが少し遅れてしまいました。すると私よりも早く教会に到着していた兄弟とその友人が、後から来る人のためにスコップで除雪作業をしてくださいました。なんとも申し訳無く思いました。それと同時にとても感動しました。その友人の方は、教会に来てまだ2回目の方です。またこのような大雪の中でも、能代からK兄も礼拝に出席してくださり本当に感謝でした。みんなで礼拝し、I姉の手作り料理をお腹一杯食べました。霊肉ともに満腹でした。感謝!
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by carbondalle1996 | 2017-01-15 19:22 | 日記 | Comments(0)

初詣礼拝

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 今日から2017年。毎年、元旦礼拝があり、最初の主日礼拝が来る。しかし、今年は元旦が日曜日なので、元旦礼拝一つだけでした。昔のキリスト教界では、新年聖会を開いていたと聞きますが、最近は家族と過ごす時間を大切にするという意味で、そうした新年聖会をもたなくなった教会が多いと聞きます。私たちの教会も日曜日の元旦礼拝だけです。ほとんどの日本のキリスト教会では元旦礼拝と呼びますが、私達カルバリーチャペルグループではこれを初詣礼拝と呼びます。理由は、未信者への伝道目的です。未信者は決まってこの時期に神社へ初詣に行きます。神社に初詣行く人々に向かって、「初詣行くなら教会へ」と道を開いたのが最初だと思います。クリスマスは教会に多くの未信者が足を運ぶように、初詣もまた多くの未信者が教会に足を運ぶ機会になればいいですね。

 今年の新年聖句は、「あなたの将来には希望がある、と主が言われる。」(エレミヤ31章17節)

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by carbondalle1996 | 2017-01-01 20:26 | 日記 | Comments(0)