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5つのパンと2匹の魚

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まる子は私にとっての救世主

アニメ「ちびまるこちゃん」の声優TARAKOさんが、4日未明に亡くなられました。ある番組の中でTARAKOさんはこのようにご自身のことを話しておられました。

「私は自分の声が嫌いでした。自分の声にコンプレックスがあって、自分の声が大嫌いでした。もっと可愛らしい声質だったら良かったのにといつも思っていました。『主役にはなれない声だね』と面と向かって言われたこともあります。アニメのヒロインのオーディションを受けても落ちてばかりでした。スタッフに声を覚えてもらえ、女子高生役や通行人役など脇役として頻繁に出させてもらいました。ただ、声優の仕事だけではとても食べていけなくて、スーパーマーケットの試食販売やコンビニエンスストアの店員、交通量調査などありとあらゆるアルバイトをやりました。

 アニメ『ちびまる子ちゃん』のオーディションを受けたのは、声優になって、8年ほどたった頃です。番組が始まった頃はとにかく不安で、スタッフに何度も「大丈夫ですか?」と聞いたものです。しかし、まる子を演じ続けている中で、『自分の声も悪くないのかな?』と思うようになりました。今の私があるのは、まる子のおかげです。まる子は私にとっての救世主です。」

町田カルバリーフェローシップの大塚信頼先生が、TARAKOさんの言葉を聞いて、こう語っています。そういえば僕も自分のことが大嫌いだった。理想の自分と現実の自分との違いから、自分自身を受け入れることができず、そんな自分に愛想が尽き、死んでしまおうと 自暴自棄になった。でも、イエス様に出会って、イエス様がこんな自分をも愛していると知って、僕は自分自身を受け入れることができた。こんな自分でも神様から愛されている。こんな自分でも神様は高価で尊いと言ってくださる。時間はかかったが、少しずつ自分を赦し、自分を受け入れることができた。TARAKOさんが、「まる子は私にとっての救世主です」と言ったように、僕は「イエス様は私の救世主です」と告白した。


# by carbondalle1996 | 2024-03-17 07:00 | 日記 | Comments(0)

主がお入り用なのです

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「安静にしていなければ、命の保証はありませんよ。」厳しい語調で医師は言った。診断の結果は、直ちに全国のアシュラムの会員たちにも伝わった。ハガキで、手紙で、電話で、海外伝道の旅を取り止めるようにという願いが毎日のように寄せられた。保郎も自分の体に自身がなかったので、一度はブラジルへの伝道だけはキャンセルした。が、ブラジルからは再度要請が来た。さすがの保郎も、行くべきか行かざるべきか、幾日も祈った。その祈りの中で保朗は、子ろばに関わる聖書のことばを思った。

「むこうの村へ行きなさい。そこにはいるとすぐ、まだだれも乗ったことのないろばの子が、つないであるのを見るであろう。それを解いて引いてきなさい。もし、だれかがあなたがたに、なぜそんな事をするのかと言ったなら、主がお入り用なのです。またすぐ、ここへ返してくださいますと、言いなさい」。(マルコ福音書11章2~3節)

 アメリカ、ブラジルからの要請は、「主がお入り用なのです」という言葉のように、保郎には思われたのだ。保郎は寝床の上に腹這いになって、早くもペンを持ち、原稿用紙をひろげていた。机に向かうことさえ辛いのか、と思いながら和子は言った。「なあ、あんた。一生のお願いです。ほんまに今度の伝道だけは、やめてもらえまへんか。」保郎は布団の上に起き上がって、和子をじっと見た。

「あんな和子、ちいろばはな、主がお入り用なのです言われたら、何も言わんと、引かれていくもんなんや。聖書には、まだ誰も乗ったことのない子ろばと書いてあるやろ。人を乗せたことのないほど、小さな小さなろばなんや。その子ろばを招かれたんは、キリストなんや。お乗せする力などありませんと、謙遜そうに言うことはないんや。主は何もかも承知の上で、何かにお用いくださるんや。僕はなあ、何としても神のことばを聞き流すことがでけへんのや。」「・・・・・・・」

 自分を子ろばにたとえて、「主がお入り用なのです」というみことばに従おうとしている保郎の決意を、ひるがえすことは到底無理だと和子は思った。

 ~「ちいろば先生物語」三浦綾子著より~


# by carbondalle1996 | 2024-03-03 07:00 | 日記 | Comments(0)

たった一人でも

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先週22日放送の朝ドラ「ブギウギ」を見た視聴者から「カッコ良くてスッキリした」という声がネットに溢れた。菊地凛子演じる茨田りつ子が芸能記者を撃退するシーン。

りつ子:「目ざわりだわ。消えなさい。」

者:「僕らが消えて困るのは、あんたらですけどね。」

りつ子:「・・・・・」

者:「僕らが話題にするから、あなたらはスターでいられるんだ。」

りつ子:「・・・・・」

者:「もちつもたれつじゃないですか。仲良くやりましょうよ。」

りつ子:「・・・・・」

者:「あんたら人気商売だろ。話題にも上がらなくなったら終わりですよ。」

りつ子:「上等じゃない。人気が欲しくて歌ってるわけじゃない。

者:「・・・・・」

りつ子:「客なんて一人でもいいのよ。」

者:「・・・・・」

りつ子:「たった一人でも、一生忘れられない歌を聴かせてあげるわ!」

「たった一人でも」というりつ子のことばに、私は亡き滝元明先生を思い出しました。以前リバイバルミッションが秋田で伝道集会を開いた時、講師は滝元明先生でした。集会当日は、ウィークデーだったこともあり席はガラガラ。会衆は近所に住む一人の婦人だけでした。それでも滝元先生は、会衆に向かって全力でメッセージをされました。集会後に滝元先生は「私はこの一人の婦人のために、今日ここに来たのです」とおっしゃった後で私にこう言いました。「伝道者は会衆がたった一人でも、その人の魂の救いのために全力でメッセージすることを喜びとするのですよ。」滝元明先生から伝道者として大切なことを学びました。


# by carbondalle1996 | 2024-02-25 07:00 | 日記 | Comments(0)

教会の命とは

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”それから彼の家で、食事の席についておられたときのことである。多くの取税人や罪人たちも、イエスや弟子たちと共にその席に着いていた。こんな人たちが大ぜいいて、イエスに従ってきたのである。”(マルコ2章15節)

 それからイエス様と弟子達は、取税人であったレビの家に招かれました。取税人の頭であったザアカイを思い出します。イエス様が「ザアカイ、今日はあなたの家に行く」と言われたザアカイは大喜びでイエス様を迎えました。そしてザアカイは財産の半分を貧しい人々に施し、自分がこれまで決められた以上に取った税金を四倍にして返すと言いました。イエス様に従ったザアカイの喜びがそこにありました。おそらくレビもまた同じであったでしょう。イエス様に従ったレビはイエス様を招き、そして多くの取税人や罪人たちが、イエス様や弟子たちと共に席に着いたのです。マルコはこの光景について「こんな人たちが大ぜいいて、イエスに従ってきたのである」と書きました。

おもしろい訳であり、大切な翻訳だと思います。「こんな人たち」です。私たちが誰かから「こんな人たち」と呼ばれたらどんな気持ちでしょうか。「ふざけるな」と怒ります。でもユダヤ人から見たら「こんな人たち」だったのです。ユダヤ人が当時、罪人と呼ばれていたのは、律法を守らない人々。殺す人、姦淫をする人、そして盗む人。取税人は税金を盗む罪人でした。まさに救いようの無い「こんな人たち」だったのです。

アッシジのフランチェスコの映画「ブラザーサン、シスタームーン」の一場面を思い出します。教会の中には聖職者がいて、お金持ちの信者は席がありましたが、貧しい人々は会堂の中に席が無く、後ろで立っていました。そのときフランチェスコは、「私の教会を建て直しなさい」という神の声を聴いて、廃墟となった教会を建て直しました。その教会が建てあがった日、大勢の人々がその教会に集まってきました。まさに「こんな人たち」です。教会から捨てられたような人々がみんなフランチェスコの教会に行きました。

想像してみてください。私たちは「こんな人たち」と呼ぶ側にいるのか。それとも「こんな人たち」と呼ばれる側にいるのか。私たちが教会の中にいて、讃美歌を歌って、メッセージを聴いて、お祈りして自分たちはクリスチャンだと思っていたところに、外からホームレスの人が入って来たとします。匂いは臭いし、服は汚いし、会堂内が臭い匂いで座っていられません。私が怒って、その人に向かって「あなたのような人が来るところではありません。出て行ってください」と言ったとします。その人が教会の外でたたずんでいると、その人の隣にイエス様が座っていました。このとき神の国にいたのは私たちクリスチャンでしょうか。それとも外に出されたホームレスでしょうか。イエス様がおられるところが神の国です。教会にとって最も大切なことは、ここにイエス様をお迎えするということ。それが教会の命です。


# by carbondalle1996 | 2024-02-18 07:00 | 日記 | Comments(0)

神様との約束

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マザー・テレサが来日したときに、ノートルダム清心女子大学の渡辺和子先生が帯同された。マザーは、移動の電車の中でいつも瞑想しており、当然ニコリとも笑わなかった。しかし、誰かが「マザー、こっちを向いて!」と声を掛けると瞬間的に起き上がり、最高の笑顔を作り、その人と一緒に写真を撮ったそうである。

ノートルダム清心女子大学に戻り、マザーと食事をしている時に渡辺和子先生は、あえてマザー・テレサに聞いてみたそうです。「マザー、瞑想中であっても、人々から声を掛けられるとすぐに笑顔を作って、その人に応対するって本当に素晴らしいです。」そのときマザー・テレサはこう言いました。「私は神様と約束したのよ。私が笑顔を必要としている人に、笑顔で写真を撮ってもらうことを通して、『神様、この人を天国へ迎え入れてください。神様、お約束ですよ。私が笑顔をつくるごとに、ちゃんと天国へ入れてあげてください』と神様と約束したの。」

 


# by carbondalle1996 | 2024-02-11 18:12 | 日記 | Comments(0)