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5つのパンと2匹の魚

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神様の視点

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 先日テレビを見ていましたら「婚外子の相続分が嫡出子の二分の一は、法の下の平等に反して違憲」との最高裁判所の判決を受けて、民法改正が与党内で了承されたというニュースを見ました。ニュースでは国会議員さんの地元でこの法改正の賛否が真っ二つに分かれて、大変だったという内容でした。改正に反対の人々は、結婚をしていない女性の産んだ子供に自分の子供と同じだけの財産を与えるなんて許せないというものでした。そのような意見を聞いていたコメンテーターがこう言いました。「それは視点が違う。最高裁は婚外子の視点に立っており、反対者はそうした弱者の視点に立っていない」というコメントでした。

 私は政治のことはよくわかりませんが、婚外子の人々が認めてほしいのは遺産ではなく、自分の子供としての価値ではないだろうかと思いました。まるで自分の価値が生まれながら嫡出子の半分として見られている、そうした人の価値に対する裁判なのではないだろうかと思いました。視点をどこに置くかが問われる問題ではないでしょうか。

 イエス様がこの地上に来られた時代もこのような人の価値が蔑まれるような時代でした。天国へ入ることが許されるのは、律法学者やパリサイ人や熱心党のようなエリート集団。取税人や姦淫を犯す者、らい病人や盗人という社会的底辺にいる人々は、蔑まれて当たり前。天国に入れなくて当然。社会にとって不必要な存在、神様から切り捨てられて当然の人々。そのように考えられていました。

 しかし、イエス様はどうだったでしょうか。パリサイ人や律法学者、熱心党の論理では神の国実現に役立たない、足手まといになるはずの取税人やらい病人などの罪人が、イエス様の周りにたくさん集まりました。神の国は役に立たない人々、足手まといになる人々を切り捨てるところで実現する世界ではなく、まさに役に立たないと思われる、足手まといと思われる人々によって実現する世界だとイエス様はおしえてくださいました。これが神様の視点です。イエス様の視点です。教会はいつもこの神様の視点に立たなければなりません。

 教会にはいろいろな人々が来ます。体の弱い人、心の病気の人、精神病の人、経済的不自由な人。時には泥棒さんも来るかもしれません。しかし、みんな神様が教会へ送ってくださり、神様が受け入れたいと望んでおられる人々です。神様が送ってくださった人々ならば、隣人として愛さなければなりません。そのようにしてキリストの体なる教会は建て上げられて行きます。誰かを切り捨てるのではなく、誰でも受け入れる群れとなりましょう。そこに主は住まわれるのです。

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by carbondalle1996 | 2013-11-16 06:03 | 日記 | Comments(0)
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