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5つのパンと2匹の魚

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向きを変えること

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そして、イスラエルの多くの子らを、主なる彼らの神に立ち帰らせるであろう。彼はエリヤの霊と力とをもって、みまえに先立って行き、父の心を子に向けさせ、逆らう者に義人の思いを持たせて、整えられた民を主に備えるであろう」。(ルカ1:16)

 バプテスマのヨハネの働きとは、イスラエルの子らを神に立ち帰らせるというものです。それが彼の使命でした。このときから30年後に、成長したヨハネは荒野で悔い改めのバプテスマを宣べ伝えました。それこそメシヤが通る道をまっすぐに備えることでした。人々が悔い改めた心こそ、イエス様が通って来られる道なのです。天と地を創られた神様は、深い御計画の中でイエス・キリストの前にヨハネを遣わされました。ヨハネが来るのが、イエス様の後では意味がありませんでした。また、5年も10年も前でも意味がありませんでした。イエス様が来られる直前に来られたということに意味があるのです。

 バプテスマのヨハネの使命は、人々に悔い改めを宣べ伝えることでした。それは、救い主なるイエス様が通られる道を備えるという意味でした。このことを私たちに置き換えてみるとわかりやすいと思います。私たちはイエス・キリストに触れて、このお方を救い主として心に受け入れました。しかし、罪人であった私たちが、神に背を向けて歩んでいた私たちが、そのままの自分でイエス様を受け入れたのではありません。必ずそこには、悔い改めがありました。悔い改めとは、向きを変えるという意味です。神に背を向けて歩んでいた人生の向きを、神に向かって方向を転換するということです。この悔い改めがあって、はじめて私たちの心は、イエス様を迎える道となるのです。

 ですから悔い改めとイエス様の救いとは、切っても切れないもの、悔い改めと救いは連続した関係なのです。ですからヨハネはイエス様の直前に来られたのです。キリスト者の中で、悔い改めた後救われるまで10年も20年もかかったという人はいません。イエス・キリストの救いを受けるために、まず悔い改めることが必要だからです。

 イエス・キリストの誕生をお祝いするクリスマスの前に、バプテスマのヨハネの使命である悔い改めを、改めて心に受け止めたいと思います。救われたらもう悔い改めが必要ないなどと考えているクリスチャンはいません。信仰から信仰へと進むほど、日々悔い改めの連続であることを思わされます。しかし、だからこそこのような私が救われたことは、恵み以外の何ものでもないと思わされるのです。それでは私たちは何を悔い改めるのでしょうか。それは神に背を向けて歩んでいた自分を悔い改めるのです。そして向きを変えて、神様に向かって歩む者となりましょう。ハレルヤ。
by carbondalle1996 | 2013-12-04 06:07 | 日記 | Comments(0)
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