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5つのパンと2匹の魚

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それは私だと思ってください

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リヤカーの中から路傍伝道を続ける中で、三橋青年は良き助け手が与えられたいと願うようになりました。しかし現実は簡単ではありません。三橋青年は小児麻痺の一級身体障害者で小学校も出ておりません。仕事もなくお金もなく、決して美男子でもありません。そのような状況で結婚を考えることは無謀なことでした。しかし、路傍伝道をする中で、山本幸子さんという女子学生が熱心にトラクトを配り助けてくれるようになりました。三橋青年は神様にこの女性を助け手として与えてくださいと祈りました。それが三橋先生を背負って世界中に伝道した奥様の幸子夫人でした。

 当時山本幸子さんは看護学校の生徒でした。幸子さんは三橋青年のためにある姉妹との結婚を祈っておりました。すると神様から「あなたはどうですか?」と自分の祈りとはまったく反対の主からの問いかけに驚きました。彼女はその声を打ち消すように「私は看護婦の道も開かれ、この道で御奉仕させてくださいと願ってきました。私にはできません。」すると神様は第一コリント6章20節のみことばをもって答えました。

“あなたがたは、代価を払って買いとられたのだ。それだから、自分のからだをもって、神の栄光をあらわしなさい。”

 幸子夫人はこのみことばに立って三橋青年との結婚を決意しました。結婚するとなると看護学校を中退しなければなりません。まして結婚相手は仕事もなく、一級身体障害者で小学校も出ていない男性です。両親や親戚、友人の反対にあいました。まして両親の反対はものすごく、幸子さんは両親から勘当されて三橋青年と結婚しました。結婚しても夫は仕事があるわけでもありません。毎日の食費にもありつけない状態でしたから、周りの友人からは、「あの二人は現実を知らないから、いつかきっと離婚するよ。いつまで結婚生活が続くだろう」と言われていました。これが三橋青年27歳、幸子さん19歳の結婚でした。

 しかし、そのように周りの人々がいつ離婚してもおかしくないと思っていた二人ですが、エリヤのカラスがパンを運んだように、路傍伝道する三橋夫妻を神様がいつも助け手を通して養ってくださいました。あるとき朝食のパンを買うお金がないとき、明日は断食しようと決めた夕方、突然近所に住む女医さんが家を訪れて、「パンを買いすぎて残ってしまった」と言って持ってきてくれたこともあったそうです。

 またあるときは宣教師先生の伝道のお手伝いをしたときに、宣教師先生から「日本語をおしえてくれませんか」と言われ、十日間日本語を宣教師先生に教える働きができました。するとそのお礼として当時のお金で六千円が与えられ、そのお金で、二人でレインコートを購入し、雨の日も路傍伝道ができるようになったそうです。こうして三橋先生ご夫妻を神様は養ってくださり、軽井沢聖書学院へと導き、卒業後は札幌伝道へと導き、北海道で一番大きな札幌キリスト福音館という教会を建て上げてくだしました。

 私が三橋先生のメッセージを初めて聞いたのは、1998年に日本武道館で開かれた東京リバイバルミッションでした。そのとき先生はこうメッセージしました。「天国で女性を背負っている男性を見つけたらそれは私だと思ってください。私はこの地上においてはずっと妻に背負われて生きてきました。しかし、天国では私が妻を背負って走りまわっているでしょう。」

 栄光在主
by carbondalle1996 | 2014-02-15 22:41 | 日記 | Comments(0)
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