平和をつくり出す人たちは、さいわいである、彼らは神の子と呼ばれるであろう。(マタイ5章9節)
イエス様は平和を愛する人は幸いと言ったのではありません。また平和を守る人は幸いと言ったのでもありません。イエス様はガリラヤ湖の湖畔で「平和を作り出す人はさいわいである」とおっしゃいました。イエス様が言われた「平和を作り出す人」とは、どのような人なのでしょうか。
世の中にはたくさんの平和というスローガンや文字があります。昔は新党平和という党もありました。私たちが今まで見てきた平和運動とはどのような運動でしょうか。人々が集まって、人と人との関係において、そこに協調がなされ、和合がなされ平和が作り出されているように思えます。それを願って、あるいは議論したり、研究したり、運動したりする。そこで平和というものが作り出されていくように考えられます。
ですからその方向が少しでもずれたり、その考え方にずれが生じると平和のために運動し研究しあう人たちの間で対立が起こります。そこでは平和どころか争いが起こってしまいます。こういった出来事を私たちはテレビや新聞で見ただけではなく、私たち自身も似たような経験を持っているかと思います。それは社会だけではなく、キリストの教会と呼ばれるものの中においてすら激しい対立が起こり、互いに主張しあい、果ては分裂、そういったことが起こっています。そのような平和と、ここでイエス様が言われている平和とは根本的に違うのではないでしょうか。