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5つのパンと2匹の魚

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だからあなたから和解しなさい

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だから、祭壇に供え物をささげようとする場合、兄弟が自分に対して何かうらみをいだいていることを、そこで思い出したなら、その供え物を祭壇の前に残しておき、まず行ってその兄弟と和解し、それから帰ってきて、供え物をささげることにしなさい。(マタイ5:23~24)

 ここで「だから」の後の続け方がおかしいと思いませんか。「兄弟に対して怒る者は、だれでも裁判を受ける」という話をしたのですから、「だから」となれば、「だから怒りを捨てなさい」と続くのが普通です。しかし、イエス様はそうは言いませんでした。「怒りを捨てなさい」ではなく「和解しなさい」「仲直りしなさい」です。これはとても不思議な論法です。しかしここで怒りを捨てなさいというのは聖書的には正しい判断です。パウロもエペソ人への手紙でこう言っています。

すべての無慈悲、憤り、怒り、騒ぎ、そしり、また、いっさいの悪意を捨て去りなさい。(エペソ4:31)

 つまりパウロはお互いが赦しあうために怒りを捨てなさいと教えています。イエス様は隣人へ向けた「怒り」は殺人に等しい罪だと言いながら、だから怒りを捨てなさいではなく行って兄弟と和解しなさいと言いました。私たちが隣人に対して怒っているとき。それは罪だと私たちはイエス様から学びました。だから当然隣人に対する怒りを捨てなければなりません。これは同意することだと思います。しかし、ここでイエス様は私たちの立場を怒っている本人から、怒りの対象である対象者に置いています。これはどういうことでしょうか。

 ここでイエス様はそのような私たちに、だからあなたは怒る人の気持ちがよくわかるでしょう。あなた自身が隣人に対して怒りを持つ人だから、怒る人の気持ちがよくわかるでしょう。もし自分が隣人に対して怒りをもっていたら、相手から「ごめんなさい。赦してください」と言われたら、あなたはきっと怒りを消して、謝ってきた隣人を赦して和解することができるでしょう。そのときあなたの心はどんなにか平安ではないでしょうか。だからあなたがそれを実践しなさい。あなたも同じようにあなたに怒りを持っている隣人がいます。だからあなたの方から隣人のもとへ行き、和解しなさいとイエス様はおっしゃっているのです。

 あなたは他人に対して怒ったり、恨んだりした経験はありますか?同じようにあなたに対して同じような思いを抱いている隣人がいます。あなたはその人のところへ行って和解できますか?わたし達が隣人と和解するという神様への捧げ物は、どのような心よりも神様は喜ばれます。未だ和解できていない隣人がいるならば、今日出て行って和解しましょう。平和を作り出す人は幸いですという主の言葉を心に留めて。
by carbondalle1996 | 2014-04-10 06:34 | 日記 | Comments(0)
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