右近勝吉さんは1940年に満州で生まれ、6歳の時、佐賀県に引き上げて来ました。東京へは13歳の時に引っ越して来ました。外苑中学に入学した年の春、新宿のヤクザの組に入りました。そして帝京高校の2年まで組員として働きました。代々木、原宿の警察に捕まっては、母親に「勝吉、悪いことはやめておくれ!」と泣かれる毎日でした。右近さんは、アメリカのアル・カポネというギャングに憧れ、「ヤクザの親分で頑張りたい」と思って努力して毎日を送っていました。
けんか、かつあげ、エロ写真売り、街頭将棋などいろいろやりました。新宿の東口が私のテリトリーでした。午前中は、各商店にあいさつ回りをし、お金をもらい、午後は、自分の縄張りを歩き回るのです。右近さんはパチンコ、映画が好きでしたから、そういうことで遊んで生活が出来て、楽しい人生でした。それに、右近さんが町を通ると、皆さん、道をあけてくださる。
しかし、ある時、道をあけない人がいました。「この野郎!」と思い、顔を見たら外国人でした。その外国人がニコッと笑いました。その顔の輝いていること。心からの笑顔でした。それはダン・マカルパイン宣教師でした。その笑顔につられて、毎週日曜日、礼拝に出席するようになりました。
「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、そして、人の心に思い浮かんだことのないもの。神を愛する者のために、神の備えてくださったものは、みなそうである。」(第一コリント2:9)