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5つのパンと2匹の魚

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主によって信じさせられた

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そして主は彼を外に連れ出して言われた、「天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみなさい」。また彼に言われた、「あなたの子孫はあのようになるでしょう」。アブラムは主を信じた。主はこれを彼の義と認められた。(創世記15章5~6節)

 創世記15章には、再び、神がアブラハムに対して子孫繁栄と国土獲得の約束がなされます。前者の「子孫繁栄」の約束に関しては、12章で「わたしはあなたを大いなる国民とする」が、13章では「地のちりのようにならせる」とになり、15章では「星の数ほどになる」と表現されます。そしてアブラムは「主を信じた」とあります。

 一見、アブラムの意思で信じたように見えますが、ヘブル語原文では「主によって信じさせられた」となっています。つまり「信じた」という動詞がここでは使役形で使われているのです。たとえ主によって信じさせられたとしても、それはアブラムの同意を当然含んでいるわけで、「信じた」と訳されているのだと思います。それを主は「義と認めた」のです(15:6)。「義」とは関係概念です。神と人との正しいかかわりは人が神を信じることにあるのです。信仰義認の重要な教理の萌芽がここにあります。

 私たちは自分の意思によってたくさんの宗教の中からキリスト教を選び、この神様を信じたと考えてしまいがちです。しかし、聖書を読むとそこには「主によって信じさせられた」という聖霊様の働きがあることを知ります。神様を信じるとはまさに聖霊様の領域であることがわかります。ですから私たちが神様を選んだのではなく、神様がこのような私を選んでくださったことを知るのです。主に選ばれた者として、正しい信仰生活を歩む者となりましょう。
by carbondalle1996 | 2014-10-15 05:57 | 日記 | Comments(0)
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