彼らが出て行くと、人々は悪霊につかれて口のきけない人をイエスのところに連れてきた。すると、悪霊は追い出されて、口のきけない人が物を言うようになった。群衆は驚いて、「このようなことがイスラエルの中で見られたことは、これまで一度もなかった」と言った。 しかし、パリサイ人たちは言った、「彼は、悪霊どものかしらによって悪霊どもを追い出しているのだ」。(マタイ9章32~34節)
今度は目が見えない人ではなく、口のきけない人がイエス様のところに連れて来られました。イエス様はこの口のきけない人から悪霊を追い出し、その人は物が言えるようになりました。群衆はこの奇跡を見て驚きました。しかしパリサイ人たちは、「彼は、悪霊どものかしらによって悪霊どもを追い出しているのだ」と言ってイエス様を非難しました。
旧約聖書を読んでいますと「頑なな民」という言葉がよく登場します。それは神様の言葉に聴き従わずに逆らってばかりいるイスラエルの民のことを言った言葉です。新改訳聖書では「うなじのこわい民」と訳されています。うなじというのは当然私たちの首の後ろでありますが、このうなじが硬くなることによって人は「はい、わかりました」とうなずくことができません。神様に対して「はい」と言えば良いときに、うなじが硬くなって「はい」と言えない人々。こうした人々を神様はうなじのこわい民と呼びました。
パリサイ人たちはまさにこのとき「うなじのこわい民」でした。イエス様が盲人の目を開き、口のきけない人から悪霊を追い出して口がきけるようになったという奇跡を目の当たりにしながら、「それは神様のみわざではなくその逆。悪霊のかしらによって悪霊どもを追い出している」と言いました。パリサイ人は神様の栄光をその目でみていながら、それを否定しました。まさにうなじのこわい民となりました。
あなたのうなじはどうですか?神様に注意されたとき、「はい、申し訳ございません」と素直にうなずくことができますか?「いいや、違う。あの人が悪い」と相手を非難することはありませんか?人は他人の失敗を指摘しますが、自分の失敗を指摘されると素直に謝れない者です。人に素直に謝れる者は、神様にも素直に謝れます。温順なうなじのやわらかい人となりましょう。