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5つのパンと2匹の魚

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新しい家族の創造

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 親は子供の魂を救うことはできません。夫は妻の魂を救うことはできません。魂を救うことができるのは、イエス様だけです。このイエスを信じることを邪魔することは、たとえ、親兄弟であってもできない。したがって、イエス様を知って救われてはじめて、人は真の愛で愛し合う家族ができます。ですから家族よりもイエス様を選ぶことが目的ではなく、また家族を敵対させることが目的なのではなく、イエス様を中心にした新しい家族を創造することが目的なのです。

 釜山で2万人の教会を導いておられるジョン・ピルド先生がいます。先生の著書「教会は祈りで建てられる」にこのように先生ご自身の証しが書かれております。父を早くに亡くしたピルド少年は、優しい母の元で育ちました。しかし私たちの家族はあばら家のようなみすぼらしい家で暮らし、経済的に非常に苦しい圧迫感の中にありました。家は借金でどうしようもなくなり、母は時々占い師を呼んで占いの儀式を行っていました。このように彼の家は経済的にも霊的にも非常に貧しい家庭でした。

 ピルド少年が中学生の時、祖父が亡くなりました。葬儀では家族全員が悲しみ、故人となった祖父の前でお辞儀をしました。しかしピルド少年はお辞儀ができませんでした。死んだ故人にお辞儀することは、偶像にお辞義する事と同じだと気づいたからでした。その時、ピルド少年をいつも愛し可愛がっていた祖母が彼にこう言いました。「お前は私が死んでも、お辞儀をしないのかい」。この祖母の言葉がピルド少年の心を傷つけました。

 彼は祖母にこう言いました。「おばあちゃん、死んだ人にお辞儀をしたらわかるでしょうか。孫の突然の言葉に祖母はかっと怒った。「死んだ人が、どうやってわかるというんだい。」祖母はそう答えた。ピルド少年は祖母にこう答えました。「だからこそ私はお辞儀しないのです。生きておられるなら、壱日に十回、いや百回でもします。同じようにおばあちゃんが死んでも私はお辞儀をしません。もしそのことで、辛くて心っ苦しいのであれば、おばあちゃんが生きているときに一生懸命お辞儀をします。」

 ピルド少年はそう言うとその場で祖母にお辞儀をしました。そして次の日から朝、学校へ行く前に祖母の部屋へ行き「おばあちゃん、行ってきます」と大きな声でお辞儀をして学校へ行った。毎日祖母にお辞儀をしてから登校する日が何カ月も続いた。ある日、祖母が突然ピルド少年にこう言いました。「もういい、やめなさい。私もイエス様を信じるから。」こうしてピルド少年の祖母が救われました。

 ピルド少年のお母さんもイエス様を信じませんでした。ある日、母親は怒ってピルド少年にこう言いました。「お前がイエス様を信じたから、家がこのように貧乏になったと占い師に言われたよ。お前がイエス様を信じて教会に通い続けるなら、この家から出て行きなさい。」ピルド少年は今まで母親に叱られたことがありませんでした。しかし、イエス様を信じているという理由で叱られたせいか、涙が溢れてきた。彼は母親にこう言いました。

 「親なら死んだ子の願いも聞くというのに、僕のような親孝行な息子の言葉はどうして聞いてくれないの。僕がこれまでにお母さんを悲しませたことが一度でもあった。お母さんの方が僕を悲しませてばかりだよ。」そのときピルド少年はそれまでの悲しみを全て吐き出すように母親に訴えました。すると母親は小さな声でこう言ったそうです。「わかったよ。私も教会に行ってみよう。」その日が、ピルド少年が母親と礼拝を捧げた最初の日でした。

 その後、ピルド少年の家は、家族はもちろん親戚もすべて教会に導かれてイエス様を信じる者となりました。もう以前のような占い師にふりまわされるような家族ではありません。イエス様のみに信頼し、神様の愛によって愛する家族です。こうして神様は、ピルド少年を通してこの家族をイエス様の愛を土台とした新しい家族として創り変えられました。そして神様はこの家族を豊かに祝福されました。

”主イエスを信じなさい。そうしたら、あなたもあなたの家族も救われます。”(使徒16章31節)
by carbondalle1996 | 2015-02-04 06:11 | 日記 | Comments(0)
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