あるキリスト教団のホームページに戦争責任告白文が掲載されておりました。「私たちは、かつて日本基督教団に所属し、天皇を神とした国家の中で、イエス・キリストのみが主であることを正しくかつ十分に告白することをしませんでした。そして私たちは国家の誤った教えと政策に対して妥協し、へつらい、福音の真理をゆがめました。私たちはまた、国家が推進した植民地支配や侵略戦争に加担、協力し、信仰を貫こうとする兄姉が迫害を受けた時、助ける事をせず排除さえしました。・・」
1941年に政府は国内の宗教統制を目的とし、宗教団体法の下でプロテスタント諸教会を日本基督教団という一つの団体に統合しました。戦時体制に協力した教団は、教団統理の富田牧師を平壌に派遣し、神社参拝拒否を唱える教会代表に説得を試みました。富田牧師は120名の長老教会代表者に、「神社参拝は宗教ではなく、儀礼としての参拝である」と説得を試みましたが、長老教会の代表者・教職者たちは「神社参拝は偶像礼拝の罪である」と拒否しました。
このとき長老教会の朱基徹(チュ・キチョル)牧師は、富田牧師に反問しました。「富田牧師、あなたは豊かな神学知識をもっておられる。しかし、あなたは聖書を知りません。神社参拝は明らかに十戒の第一戒を破っているのに、どうして罪にならないと言われるのですか。」神社参拝を拒否した朱牧師は、その後4度投獄され、1944年4月21日に49歳の若さで平壌刑務所にて亡くなりました。彼は拷問されている時でも、「天皇は地獄に落ちるのか」との憲兵の問いに対して、「人間はすべて同じ、天皇も、神を信じず過ちを犯せば地獄に落ちます」と答えたそうです。
1942年のホーリネス弾圧事件では、ホーリネス系122名の牧師が検挙された際に、「不純物の排除であり、当局の措置に感謝する」とさえ教団は発表しました。戦争責任告白文に「このような私たちの弱さが、今も引き継がれていることにおそれを抱きます」と綴られています。私たちの教会は、政府によって検挙され、教団から排除されたホーリネス系の流れですが、私にも彼らと同じ弱さを見出します。弱さを隠さず、自分にある弱さを認める強さを持ちたいといつも願わされます。
使徒パウロは、「弱い時にこそ、わたしは強い」と告白しました。それは弱さの中に主が働いてくださるからです。日々、主の十字架を見上げて歩みましょう。