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5つのパンと2匹の魚

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人間は考える葦である

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 パスカルは、パンセという「瞑想録」の中で「人間は一本の葦にすぎない。自然の中でいちばん弱いものだ。だが、それは考える葦である」と述べています。人間は、自然のなかでも弱い、かぼそい、一茎の葦にすぎないと言うのです。それは第一に、人間は一人では生きられないということでしょう。第二には、傷つき易く、折れ易い存在だということであり、第三には、保護、守りを必要とするということではないでしょうか。

 パスカルがこの言葉を書いたとき、彼の頭のなかにイザヤ42章の言葉があったのは間違いないとされています。パンセを読むと、パスカルは、この宇宙の中で地球さえも、さらには天体の運行さえも、宇宙全体の中では小さいものであり、ましてや人間存在などなんと小さいことかと考えます。それはまるで一本の葦のようだ、いつ折れるか、いつ傷つくかわからない弱くもろいものに過ぎないと考えます。

 しかしパスカルは言うのです。人間は弱く小さな存在だけれど、しかし神さまを考えることが出来る、と。ここで考えるとは、頭でひねくりまわして研究することではありません。どんなに弱く、もろく、折れそうなときでも、消えそうなときでも、神さまの救いの働きを思うことができる。

 心に傷を負っていない人はいません。誰もが立派な葦ではなく、新品で輝く燈心ではありません。誰もが傷ついて、もう折れてしまいそうな、弱い葦です。これ以上輝くことができないくすぶる燈心です。しかしイエス様は、そのような私たちに触れて、傷んだ私たちに寄り添ってくださる方。

 消えそうな私たちの信仰生活に、「もっと頑張れ、もっと輝け」と迫るのではなく、信仰の燈心を消すことなく、私たちに向かって「大丈夫だ、わたしがあなたと共にいるから大丈夫だ」と優しく声をかけてくださるお方です。イエス様が弱い私たちと共に歩んでくださるから、私たちは今日も一歩を踏み出すことができます。私たちは、イエス様によって新しい命によって生かされているのです。イエス・キリストは今日もあなたと共におられます。
by carbondalle1996 | 2015-03-27 06:27 | 日記 | Comments(0)
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