死者107名、負傷者562名を出す未曾有の大参事となった福知山線脱線事故から先月25日で10年が経過しました。被害者の一人で、当時、同志社大学の学生だった岡崎愛子さんのことばを紹介します。
私はあの時、マンションに衝突した一両目に乗っていました。命は助かったものの、頸髄を損傷し、19歳で車椅子ユーザーとなりました。一瞬の事故。でもその一瞬で、私は多くの「できること」を失いました。夜中にお腹が空いても、コンビニにも行けない。大好きなスポーツもできない。行きたいお店も段差の存在で行けず、字も補助器なしでは書けず、普段の生活もサポートが必要です。
今まで「できる」とか「できない」とか考えた事もないような当たり前の日常が、もろくも崩れ去りました。「こんな状態なら死んだ方がマシだ」事故後、病院のベッドの上で何度涙を流したか分かりません。そんな中、病院の先生から、事故直後に家族が先生に訴え続けていた言葉を教えてもらいました。「どんな状態であっても、生きていてほしい」。
わたしは事故が起き、身体が不自由になって初めて気付きました。わたしたちは誰もが人に支えられて生きています。健常者であろうとも、障害者であろうとも同じ。どんな状態になろうとも、命を大事に生きてほしいと願ってくれている人がいます。 だからこそ、その命を大切に生きていきたい。わたしは確かに事故で多くのことができなくなりました。それでも、人生を楽しく、やりたいことをやりながら生きる自由まで失ったわけではありません。
多くの人につないでもらった命。多くの人に支えられ続ける人生。それを強く感じるキッカケになった事故にも意味があったと、今はそう捉えています。「できる」と「できない」の境界線は、身体が動くかどうかではありません。「できる」と「できない」との境界線は、いつだって私たちの心の中にある。身体は不自由でも、心が自由なら、なんでもできます。わたしはそのことをひとりでも多くの方に伝えたい。
私たち夫婦が2004年3月愛知県新城市のリバイバル神学校を卒業したときに、神学校長の有賀喜一先生から贈られた御言葉をご紹介します。
“わたしを強くしてくださるかたによって、何事でもすることができる。” (ピリピ4章13節)