「人は何処から来て何処へ行くのか」という人間の究極的課題を説明するのに2つの方法があります。1つは神様を抜きに考える方法。もう1つは神様の存在を前提として考える方法。基本的にはこの2つしかありません。
神様抜きに考える方法は進化論です。進化論とは神様の存在を前提としないで、人類の起源について考えた方法です。私たち日本人は進化論を小学校から高校迄の12年間の学校教育で学びます。私自身も進化論を信じていました。なぜなら学校の先生が間違ったことを教えるはずがない。日本政府の教科書が間違ったことを教えるはずがないと思っていたからです。
人は目標があるときは頑張れます。高校受験、大学受検、就職。しかし、希望する学校や就職先に入った途端に5月病になる人が多くいます。それは目標を達成した後にくる虚しさが原因です。家でも車でも恋人でも同じです。手に入った途端に虚しさを感じることがあります。つまり私たちの人生は、目に見えるものや手に触れられるものだけでは解決しない何かが心にあるということ。
私の人生で一番虚しかった時期は大学時代です。私は自分が将来何をしたいのかがわかりませんでした。大学の勉強に興味がありませんから、授業がつまらなくて仕方ありませんでした。大学に入った途端に5月病となり、勉強する意味や目的がまったくわかりませんでした。人生も同じです。人は何処から来て、何処へ行くのか。人生の目的は何か。それがわからずに人生を生きることは虚しいことです。
聖書ははっきりとこの質問に答えている唯一の書物です。本の中の本。a book ではなく the book である理由がここにあります。