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5つのパンと2匹の魚

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苦難を通して現れる神

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イエスが道をとおっておられるとき、生れつきの盲人を見られた。弟子たちはイエスに尋ねて言った、「先生、この人が生れつき盲人なのは、だれが罪を犯したためですか。本人ですか、それともその両親ですか」。イエスは答えられた、「本人が罪を犯したのでもなく、また、その両親が犯したのでもない。ただ神のみわざが、彼の上に現れるためである。(ヨハネ9章1~3節)

 ヨハネ福音書9章でイエス様は因果応報という考えは間違っていると否定しました。弟子たちが生まれつき盲人の男性を指差してその原因を問いました。「彼が生まれながら盲人となったのは誰が罪を犯したからですか。本人ですか。それとも両親ですか。

 弟子たちの考えの中には前世という考え方はありません。当時のユダヤ教のラビは、赤ちゃんがまだお母さんのお腹の中にいたときに母親が罪を犯した結果、お腹の赤ちゃんがそうなったと教えていました。また赤ちゃんがお母さんのお腹の中で蹴ったりすると、その親への反抗という罪を犯した結果そうなると教えました。ですから弟子たちは、この人が生まれつき盲人なのは、この人のせいですか、それとも両親ですかと質問したのです。

 イエス様は弟子たちの質問について「本人が罪を犯したのでもなく、また、その両親が犯したのでもない。ただ神のみわざが、彼の上に現れるためである」と言いました。原因を問いませんでした。現在この苦難がこの男性の上に起こっている。しかしそれは、この苦難を通して神様の栄光が顕れるためであると答えました。この苦難を受け止めて神様に従うならば、神様の栄光が顕れる。

 日本にも大勢の目の不自由な人々。耳の不自由な人々。生まれつき身体的障害をもった人々がいます。そうした人々がイエス様を信じたとき、そのほとんどがこのヨハネ福音書9章のみ言葉でイエス様を信じたと告白しています。

イエス様がこのような身体の自分をも愛していてくださっている。またこのような身体であっても神様の栄光を現すことができる。肉体的ハンデを負った人々にとって、因果応報の世界観から解放されて、神様が自分を愛してくださっていること、また自分を通して神様の栄光を現すことができるという希望への招きは、彼らにとってどれほど大きな励ましとなるでしょうか。このように因果応報という考えは、人がどうして苦難に遭うかという答えにはならないのです。
by carbondalle1996 | 2015-06-18 06:52 | 日記 | Comments(0)
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