聖書が示す神様は、日本人が好む八百万の神々ではなく、分業制の神々ではなく、天地万物を創造された創造主で、唯一真なる神様で、全智全能なる神様だと言いました。ところが日本人というのは、この唯一というのが嫌いです。日本人は和の文化です。
聖徳太子の定めた十七条の憲法の第一条に「和を以て貴しとなす」とあるように、これが日本人の精神に受け継がれているのかもしれません。大和というやまとことばを漢字で「大和」と書くのは、和を尊ぶ思想から来ているのかもしれません。
私はアメリカから帰国して、「そうだ親戚のおじさんにもイエス様を伝えよう」と思いました。おじさんの家に行って、自分がアメリカに留学してそこで洗礼を受けてクリスチャンになったこと。イエス様が私の罪の身代わりとなって十字架に架かられたこと。そしてイエス様を信じて救われたことを話しました。するとおじさんは怒ってこう言いました。「宗教は嫌いだ。だいたいキリスト教以外に救いが無いというのはおかしい。そういうことを言うから宗教間で戦争が起こるんだ。」
よく言われる考え方として、富士山の登山口はいくつかあっても、行き着くところは同じであるように、宗教も入口がいろいろあるけれど、行き着く神様は同じだという考えがあります。もし本当に救いに至る道がいくらでもあるならば、イエス・キリストの十字架は無意味なものとなってしまいます。それでは十字架は無意味なものでしょうか。いいえ、そんなことはありません。イエス・キリストの十字架こそ天国へ行く唯一の道です。