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5つのパンと2匹の魚

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血は血によって贖われる

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 聖書66巻の中で最も重要なのは、律法の書と呼ばれるモーセ五書。創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記です。このモーセ五書には律法が記されており、その数は613の戒めがあります。そのモーセの律法の精神を要約していると言われている聖句がレビ記17章11節です。

肉の命は血にあるからである。あなたがたの魂のために祭壇の上で、あがないをするため、わたしはこれをあなたがたに与えた。血は命であるゆえに、あがなうことができるからである。(レビ記17章11節)

 ここで「肉の命は血にあるから」とあります。血は血によって贖われる。これがモーセの律法の精神を要約している言葉です。罪を犯したらどうするか?イスラエルの民は罪を犯したらどうしたでしょうか。生贄となる動物を犠牲として殺して血を流して、自分の犯した罪の贖いとしました。

 ここで贖いという言葉が出てきましたが、日本人にはなじまない言葉です。なぜなら日本の文化に贖いというものが無いからです。あるとき伝道集会に婦人の方が来ました。彼女は伝道集会が終わって、怒って帰ってしまいました。彼女は「義人が十字架に架かって罪人の贖いとなって、罪人の罪が赦されたというのはおかしい。私は自分の罪は自分で責任を持ちます」と言ったそうです。

 この婦人の間違いは何でしょうか。それは自分の犯した罪に気づいていないという間違いです。もしくは自分が犯した罪は小さく、わずかなものだから、自分で責任を取れると考えたのです。このように考えている人は多いと思います。ですから贖いがわからないのです。贖われる必要など無いと考えているからです。

 あなたは自分が犯した罪をどのように考えていますか。警察に捕まったことも無いし、特に悪いこともして無いし、天国へ行けると思う。こう答える人が多くいます。しかし、神様の視点で見たらどうでしょうか。私たちの罪はあまりに多く、自分では負えないほどなのです。神様の視点から自分自身を視ることが大切です。
by carbondalle1996 | 2015-07-23 03:35 | 日記 | Comments(0)
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