私たちもマリヤと同じような経験があると思います。みなさんが相談に載ってほしい人は誰でしょうか。みなさんが会いたい人は誰でしょうか?それはたぶんクリスチャンだと思います。自分のクリスチャンとしての想い悩みをクリスチャン以外の方に話しても、決して理解してくれないからです。
教会に来てお互いに祈り合い、神様の恵みを分かち合う。それを聖書ではコイノニアと言います。キリスト者が神様との縦の関係を通して、キリスト者同士が横の霊的関係を共有し、分かち合うこと。コイノニアというギリシア語が登場するのが第一コリント1章9節です。
“神は真実なかたである。あなたがたは神によって召され、御子、わたしたちの主イエス・キリストとの交わりに、はいらせていただいたのである。”(Ⅰコリント1章9節)
ここで「交わり」と訳されているのがコイノニアです。この「交わり」はこの世の人々が世間話をするような交わりではありません。なぜならこの交わりには前提があります。「あなたがたは神によって召された」という前提です。この「召され」という言葉は教会と訳された言葉、エクレシアの語源となった言葉です。
ですからコイノニアという交わりは教会との関係、神様との関係から離れては成り立ちません。私たちが毎週、礼拝後に昼食を共にしながら交わりを持ち、恵みを分かち合うというのはまさに聖書がいうところのコイノニアなのです。マリヤがエリサベツのもとへ走ったのも、このコイノニアを求めてであったと思います。
あなたは教会で主にある交わり、コイノニアをもっていますか?クリスチャンは一人では生きてゆけません。必ず主にある交わり、コイノニアを持ちましょう。それがキリストの体となり教会の姿です。