神様はどこまでもその人を赦して、救いたい。それが神様の心です。教会の言う事を聞かなければ相手が悪いから放っておけばよいではないのです。それはあくまでも罪を教会の中に入れることができないという苦渋の決断なのです。パウロはその心構えをガラテヤ書でこう言っています。
兄弟たちよ。もしもある人が罪過に陥っていることがわかったなら、霊の人であるあなたがたは、柔和な心をもって、その人を正しなさい。それと同時に、もしか自分自身も誘惑に陥ることがありはしないかと、反省しなさい。(ガラテヤ書6:1)
「よし、自分が行って相手を説得してみせる」などと考えて行く人はいないと思いますが、「柔和な心をもって、その人を正す」ことが大切です。
イエス様がサマリヤの女を霊的に回復したときのことを思い出してください。「その水をわたしにください」と求めたサマリヤの女に対してイエス様は、「あなたの夫をここに連れて来なさい」と言いました。彼女の罪は姦淫の罪でした。そのために神のコミュニティーから取り除かれていました。「夫はいません」という女に対してイエス様は、「嘘をつくな」とは言いませんでした。「あなたの言ったのは正しい。あなたには五人の夫がいたが、今のはあなたの夫ではない」と柔和な心をもって彼女を正しました。イエス様は取り除くことではなく、回復することを望んでおられます。