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5つのパンと2匹の魚

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What Would Jesus Do?

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“あなたがたは知らないのか。自分のからだは、神から受けて自分の内に宿っている聖霊の宮であって、あなたがたは、もはや自分自身のものではないのである。”(第一コリント6章19節)

 私たちは、自分のからだは、自分のものだから、自分が自分の体を以って、何をしようと、『自分の勝手でしょ!』と思いがちです。つまり、自分は、自分の体の主人なのだから、自分の体を用いてしたいことをする権利がある、自由があると思っています。

 ところが、実は、この≪自由≫の後ろに、≪自我≫とか、≪我欲≫とかいう名の曲者がいまして、その曲者が往々にして≪悪魔≫の囁きに聞き従ってしまうのです。『そうだよ、そうだよ、それをやったら楽しいよ。爽快だよ。誰に気兼ねがいるもんか!何をやろうと、お前の自由なんだから!』と、≪悪魔≫が後ろで私たちをそそのかすのです。しかも、それを繰り返している間に、私たちの心は、≪悪魔≫の囁きに慣れて、麻痺してしまい、私たちの内側は、すっかり≪罪の巣窟≫となってしまうのです。

 この≪罪の巣窟≫から自力で抜け出すことは容易なことではありません!時々、≪これでいいのかな?≫と思うことがあっても、≪何を今更!お前なんか、“罪の奴隷”さ!今更、いい子ぶろうとしても、無駄というものだよ!この偽善者め!!≫こんな心の囁きが、聞こえてくるのです!! 

 米沢興譲教会の田中信生先生は、以前、こんなことを言っておられました。『自分がこうしたいと思ったら、それと反対の事をすれば、大体神様の御心に叶う』。つまり、人が思うことは、大体、神様のみ心に反している、というのです。だから、その反対をやればよい、と!!

 勿論、それは極論ですけれども、それ程までに、生まれたままの私たちの心の思いは、神様と反対の方向を向いている、ということなのです。ですから私たちは、自分の思いで、≪こうしよう!≫と思う時には、≪待てよ、神様なら、イエス様なら、どうされるだろう?≫と、しばし考えるようにしたら、間違いが少なくなると思いますね。これは、私自身への戒めです。

 ~横浜カルバリーチャペル 武井先生のメッセージより~
by carbondalle1996 | 2016-06-19 08:38 | 日記 | Comments(0)
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