ヨハン・セバスティアン・バッハの生涯は、苦難に満ちたものでした。彼は幼い頃に両親を亡くし、年の離れた兄に育てられました。結婚した7人の子供が与えられましたが、そのうち3人を失いました。そして公演旅行の最中に最愛の妻までも病気で失ってしまったのです。
その後、再婚して13人の子供を授かりますが、7人失いました。それでもバッハは希望を失わず、精力的に音楽活動を続けました。晩年には視力を失い、さらに脳卒中に倒れ、半身不随になりました。そのような中でもバッハは聖書を欠かさず読み続け、神様の慰めを受けて、その体験をもとに曲を作りあげてゆきました。彼は楽譜を書き始めるとき、「Jesus Juva(主よ助けたまえ)」、そして書き上げた楽譜の最後に必ず、「S.D.G」と記します。それは「Soli. Deo. Gloria(ただ神にのみ栄光あれ)」の意味です。
生前の彼は無名のまま音楽活動を続け、亡くなりました。ただ神の栄光だけを求めて、苦難を乗り越えてその生涯を終えたのです。そんな彼の作品を神様は顧みてくださり、後の時代の音楽家たちがバッハの作品の素晴らしさに感動して、次々と彼の曲を演奏するようになったのです。メンデルスゾーンがバッハ作曲の「マタイ受難曲」を再演したことがきっかけで、バッハの作品と名声は世界中に広がり、多くの人々の魂を揺さぶるようになったのです。 ~「幸いな人」より~